博多人形・博多織 増屋

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博多のおはなし

博多について

東は石堂川、西は博多川、南はお櫛田様あたり、現在の国体道路の南側の部分を博多部と称します。玄界灘に羽のように広がる形からその地名は羽形に由来し、那珂川より以西は武士の町福岡と称しますがその名前は黒田長政が築城した折、出身地である備前福岡(現在の岡山県邑久(おく)郡長船(おさふね)町福岡)にちなんで命名したものと言われています。

博多川と那珂川にはさまれた部分を中洲と言い現在では全国でも屈指の歓楽街ですが元は人も住まない砂洲ででした。
鎌倉時代より、地の利を得ようと戦国大名たちの領地争いにより博多の町は幾たびとなく焼けだされています。戦国時代は島津(鹿児島)、大友(豊後)の勢力争いの狭間にありながら独自の商人文化を築いた町である。博多の北側半分を占めていた「妙楽寺」を介して諸外国との貿易が盛んに行われ、わが国への諸外国からの文化はすべてここから伝来したといわれています。秀吉の唐入り(朝鮮出兵)のおり博多に陣を敷く予定でしたが、幾度となく戦火に見舞われた博多町民は物資は一晩で届けるという条件で、名護屋城へ陣を変更させたといわれています。
その甲斐もなく天正十五年秀吉の島津討伐で島津軍が退陣しながら博多の町へ火を放ちこの時、「妙楽寺」も消失してしまいます。その後の秀吉による博多の復興を太閤町割りと言い、任せられたのは石田光成、七流に博多の町を分けたのが博多七流(はかたななながれ)です。しかし行政による昭和の町境町名により「流」という町割りは淘汰され現在の行政区の町名は昔の町名とは変わってしまいました。しかし山笠、松囃子では現在も流は存続されています。
現在の流は偶然にも太閤町割りと同じ七流ですが当時とは違っています。町ではなく祭りを執り行うブロックの意味合いが強い「流」となっています。

博多の三大祭

博多祇園山笠

博多祇園山笠は、福岡市の旧博多部を中心に毎年7月1日から15日まで行われる祇園祭です。

全国には八坂神社に関係のある「祇園祭」は多数ありますが、その多くは車輪がついた神賑い(曳山、山車、屋台、山鉾と祭りによってさまざまな呼び名がありますが)を曳き廻るものです。博多祇園山笠は締め込み姿で、車輪のない「山笠」を担(いな)って奉納します。祇園祭としては特殊な祭りといえるかもしれません。

山笠の起源には諸説がありますが、承天寺(博多区)の開祖・聖一国師(円爾弁円)によって、仁治三年(1242年)に始まったとの説が有力です。当時、博多で流行した疫病封じのために国師が町民に担がせた施餓鬼棚に乗って祈祷水(甘露水)をまいた故事が山笠の起源とすれば、760年以上も続いていることになります。

山笠の飾りを担当するのが「博多人形師」たちです。
作り方は博多人形とは違いますが、絢爛豪華な飾り山、舁山の飾りは博多人形師の腕の見せ所です。

博多松囃子

博多松囃子(まつばやし)は約820年前、博多を領していた平清盛の恩義に感謝して博多の町人が始めたという言い伝えがあり、また文禄四年(1595年)名島城に参向したという古い記録もあります。

江戸時代は正月十五日に福神、恵比須、大黒、稚児等に扮して列を連ね、福岡城主に祝詞を述べたあと街中を祝い歩いた年賀行事でした。

現在は5月3日、4日の博多どんたく期間に同時に行われています。

大黒天は商売繁盛、福禄倍増、祈願成就の守護神です。松囃子に従う人々は伝承の服装をし、謡曲風の 「言い立て」 を各々口誦みながら街々を祝い練り歩きます。農耕の神とも信仰される大黒天の言い立ては田植歌の一種といわれています。

この松囃子行事が昔のしきたりをほぼ完全に残しているのは全国でも博多だけで、昭和29年5月 「福岡県無形文化財」 に、昭和51年12月 「国撰択無形文化財」 に指定されました。

放生会

9月は博多に秋の到来を告げる秋祭り「放生会」が箱崎の筥崎宮で行われます。

放生会とは、万物の生命をいつくしみ、殺生を戒める神事。同時に、実りの秋を迎えて海の幸、山の幸に感謝するとともに、商売繁盛や交通安全を祈ります。どんたく、山笠と並ぶ博多三大祭りのひとつで、今から1000年以上も前から続いている祭典です。

期間中は、約1Kmの参道に約700もの露店が並び、境内ではさまざまなイベントが行われます。

毎年100万人以上の参拝客が訪れ、秋祭りとしてのその数は九州随一。期間中は、やむを得ず殺生をした生き物や、ペットなどの放生会感謝祭(供養祭)も行われます。

放生会おはじきと呼ばれるのが初日の午前中に完売する人気のおはじきです。

博多人形師グループの方々が、博多人形と同じ手法で一つ一つ手作りされます。素朴でかわいいおはじきが30個入って1箱。12日の午前8時からお札所で販売します。これも露店で売ってます。

沿道にはたくさんの露天が並び、焼きそばやイカ焼きの香りが漂う中、お化け屋敷や見世物小屋からの怪しい案内の声・・
昔はいかがわしい何倍のんでも10円のジュースなど子供たちの楽しみの一つです。
昔は、山笠の間ごりょんさんをほったらかしたご機嫌取りに奥さんに放生会へ出かけるための着物をあつらえてやる「放生会ギモン(着物)」というのもあったそうです。

福岡と博多について

福岡は行政上は福岡市となっています。空港も福岡空港。
それに対しJRは博多駅。
博多人形に博多織と博多というほうが全国的には有名ですね。
博多は平安の昔から、大陸、朝鮮貿易の中心として栄えてきました。
その後博多は何度も戦火にあい焼け野が原となります。
太閤秀吉が博多復興に着手し「博多町割」と称する町づくりを実施。徳川時代になって筑前に封じられた黒田武士でおなじみの黒田氏は博多の西郊に居をかまえ城下町を福岡と命名したのです。

町の中央を流れる那珂川をはさんで西側を福岡 東側を博多と呼ぶようになったのです。。
明治22年福岡市が誕生。翌23年の市議会に於いて博多地区出身の議員から博多市に市名変更を提案されましたがすったもんだの末1票差で否決され、その年の12月に国鉄が開業し駅名を「博多」にすることで折り合いがついたそうです。
だから駅は博多駅。何処まで乗ってもJR福岡駅はありません。

(写真の提供:福岡市)

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